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ターニングポイントはいつ? 私が「なりたい私」になったとき~元オリンピック選手 青木愛さん
チャレンジしてみたいと思いながらも、悩んで一歩踏み出せなかったり、タイミングを考えて躊躇してしまったり、現状に迷いがありながらも、モヤモヤを抱えている人は少なくないはず。現在、スポーツコメンテーターをはじめさまざまな分野で活躍する、元オリンピック選手・青木愛さんの、今に至った転機やきっかけ、新たな世界で見つけたものから、自分らしく生きるヒントを探ります。
目標となる先輩たちとオリンピック出場、やりきった達成感で引退
小2から始めたシンクロナイズドスイミング(2017年より「アーティスティックスイミング」へ改称)で2008年北京オリンピックに出場するも、直後に引退。当時はまだ23歳、大学生だった。現在は競技の第一線から離れ、スポーツ番組のレポーターや競技の普及、旅番組のナビゲータ―など、さまざまな分野で活躍する青木愛さん。4年後、次のオリンピック出場の可能性もありつつ、なぜ選手生活を引退したのでしょう。
「23歳で現役を辞めたのには、2つ理由があります。まず1つ目は、病気の母と一緒に過ごす時間をもっと作りたかったから。2つ目は、北京オリンピックでやり切った、全力を出し切った、と思ったからです。23歳での引退はまだ早いという周囲の声もありましたが、アテネオリンピック後の2005年からA代表に入って、団体チームはほぼずっと同じメンバーでキツイ練習も乗り越えてやってきた。その結果が北京オリンピックで5位。メダルがとれなかったことには悔いが残りますが、やり残したことや出しきれなかったことは全くなし、その結果、実力は5位だったということ。また、その団体8名のメンバーのうち、私は最年少。技術面や精神面で学ぶことが多く、怒られることもしばしば。目指すべき目標となる先輩方が身近にいる環境だったのですが、その先輩方が皆オリンピック後の引退を決めていて…。次に向けて、私がオリンピック経験者として、新しく組むチームメンバーを引っ張っていく役割になることも考えたりもしましたが、誰かの上に立つ性格ではなかったので、引退を決断しました」。
シンクロを離れて気づいた、シンクロ愛とオリンピックという目標
そんな青木さんを支えたのが、幼い頃に抱いたオリンピックへの憧れとシンクロへの強い愛。小2の頃から、オリンピックに「出たい」のではなく、「出る」と思っていたほど、泳いでいることが何よりも楽しくて、他の遊びなどには興味がなかったそう。ジュニアオリンピックで好成績を収めたことで、地元京都のクラブから、中2の時に井村雅代ヘッドコーチが代表を務める大阪の名門クラブに移籍、より高みを目指すことに。
「尊敬する先輩方と一緒にチームを組ませて頂いたり、代表のコーチをされている方に直接指導を受けたり。練習もきつく、厳しくなり、高校時代に練習を無断欠席したんです。シンクロをサボって、放課後に友達と遊んでみたり。しかし、一度離れてみたことによって、私はやっぱりシンクロが好きなんだ、と改めて強く思いました。練習は本当に嫌いですけど、シンクロが好きで、オリンピックに出たい、という目標があったからこそきつい練習も乗り越えられました。ちなみに代表合宿では、朝の8時にスタートして、夜の11時30分くらいまで練習。陸で体の角度やカウントを合わせる練習やウエイトトレーニングもしますが、ほぼずっと水中。一日10時間は水中で泳いでいました」。
知らなかった世界や新しい出会い、全部新鮮でとことん楽しむ
「オリンピック中は大学を休学しており、引退した時はまだ大学生。オリンピック後に大学に復学し、教員免許を取得して卒業しました。その後、どんな方向に進むか、あまり決まっていない中で、今日ここまでこれたのは、恵まれていたのかもしれませんね。シンクロしかやってこなかったから、知らない世界が多かったし、それがまたすべて新鮮で楽しいんです」。
自分の古巣のクラブで小学生から大学生までを指導し、子どもたちの成長の著しさや、やりがいを感じていたそうです。現在まで、さまざまな活動に精力的な青木さん。大会の解説や後進育成などシンクロナイズドスイミングの経験を生かしたもののほかに、レポーターやタレント活動などでも大忙しです。
現役時代には、頭の中を整理するために、一人の時間を大切にしていたそう。でも今は、人と会う時間を作って、モヤっとした気持ちはため込まずに吐き出したり、友達とリラックスやリフレッシュすることも大事にしているとか。
「楽しんでやらなければ、ストレスになるから、仕事はとにかく楽しんでやっています。そうすれば好きになるし、好きこそものの上手なれ、でうまくなっていくのではと思っています。引退して12年、20代の頃と30代半ばの今とでは、求められるものが違うので、今充実してはいますが、もっとステップアップしていきたいと思い、講演などでうまく話せるように苦手なスピーチの勉強も始めました。楽しんで勉強して、好きになって、結果的に上達したらいいですね」。
美容情報は友人やメイクさんから。健康な体作りが基本!
シンクロナイズドスイミングといえば、メイクやヘアスタイルも芸術点のひとつ。髪は1本でも乱れないようにゼラチンで固めるほか、チームメイト全員が同調(シンクロ)するように、プロのメイクレッスンを受け、選手一人ひとり異なる目の大きさを、同じ大きさに見えるようなアイシャドウの入れ方を個別に指導を受けることもあるのだそう。メイクの仕方を覚えて、個人差を修整し、近づけるのも競技に重要な要素なんだとか。
現役時代は、このようにプロのメイクレッスンも練習の一環だったものの、海外遠征の屋外プールでは日焼けすることも多く、青木さんの美容への意識はそれほど高くなかったよう。
「今は旅番組で世界各地に訪問するので、強い紫外線が気になって日やけ止めやホワイトニングも欠かせません。人の前に出るお仕事なので、友人やメイクさんたちと流行っているものやいいものなどの情報交換をしています」。
TV番組の収録後に必ずといっていいほど、ヘアメイクさんが常備しているクレンジングとして、ビオデルマ「サンシビオ エイチツーオー D 」を目にするそう。コットンに含ませてササッとふき取る簡単さや、使った後のみずみずしいうるおい感が気に入っているとか。
「女性らしい丸みを大事に、ある程度肉づきよく、ナチュラルな体が理想。ダイエットらしいことは、したことはありません。健康な体作りのために、バランスのいい食事をしっかり食べる、それは現役時代からの習慣で、自然と身についています。体の中の何か栄養素が足りないときに出るサインに気づくように心がけ、2駅分歩くためにスニーカーで出かけたり、お風呂上りに入念にストレッチしたり、と毎日微調整しています。裸になって鏡でボディラインのチェックも欠かせません。大幅に崩れると戻すのが大変なので、日々の微調整程度で無理なく継続することで、ボディラインをキープするようにしています」。
また、元気の源として、愛犬の“こむぎ”ちゃんの存在も。「2012年に我が家に来てからずっと一緒に居ます。現在は東京に一人で住んでいるので、こむぎは一番近くにいる存在。仕事が忙しく大変な時もありますが、いつもこむぎに癒されて元気をもらっています」。
日本代表選手としてオリンピックに出場した経験はもちろん、現在の幅広い活動の話語ってくれました。やり切ったという達成感と、それを糧に次に進む力があったからこそ、充実した今があるのかもしれません。東京オリンピック開催に向けて競技の認知や普及活動など、ますます飛躍の年となるでしょう。新しい世界への扉をたたき、さらなるステップアップを目指す青木愛さん、その活躍が今後も楽しみです。
Photos/Kozue Hanada
Hair &Make /Kazuhiko Yonezawa
Stylist/Ikuko Tomita
Text/Yuka Hanyuda
【取材協力】
青木愛さん
京都踏水会で水泳をはじめ、8歳から本格的にシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)に転向。ジュニア五輪で優勝するなど頭角を現し、中学2年から井村雅代氏(現・代表監督)に師事。2005年日本代表入り、2008年北京オリンピック出場。その後に引退し、現在はタレントやレポーターとして幅広く活躍中。
Twitter: @aiai0511
instagram: @aiaoki_official
公式サイト: スポーツビズ
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